日本政府 原子力推進の“障害”と民主的学者 排除リスト 1954年

おてつだい : 2011年9月4日

2011年9月4日(日)「しんぶん赤旗」 >> 日本政府 原子力推進の“障害”と民主的学者 排除リスト 54年「極秘」報告書

日本で初の原子力予算が計上された1954年当時、日本政府の関係者が原子力政策の推進にあたり、自主的・民主的な研究を目指す原子核物理学者を“障害物”とみなし、「極左」「左」などと思想選別し、排除を考えていたことを示す「極秘」報告書が明らかになりました。 >> 記事

 

2 通のコメント ↓

  1. 白井浩子 より:

    発言にタブーを持たない「しんぶん赤旗」は、ほんとうに報道の使命を果たせますね。
    この記事に登場する「民主主義科学者協会」は、後に、現在の「日本科学者会議」(JSA)になりました。
    現在(去る3月11日以来)、JSAの物理学、原子力分野の仲間が、みな何十回となく、市民に解説を頼まれて続けています。倉敷で開催された学習会の野口さんも、そうでした(3時間くらいしか寝ていない日々、と)。

    そうして、ご他聞にもれず、みな、「昇進は留め置き」です。
    大学の研究室で、「あいつと話をしてはいけない」というような、どこかの企業のような仕打ちも、され続けるのです。

    登場した坂田昌一さん、武谷三男さんは、まさに質の高い科学者として、物理学(素粒子)分野の現状を一歩も二歩も進めました。科学としてのもっとも重要な「予測」を可能とする方法(哲学)を学んでいるのです。
    当時の名古屋大学・理学部物理学科・坂田教授の研究室には、助教授で沢田昭二さんがいて(ただいま、原爆症認定の訴訟で、野口さんらと原告の証人を引き受け多忙の日々です)、その研究室に先日ノーベル賞受賞の益川敏夫・小林誠の二人が院生でいたのです。
    坂田さんの教室運営は、実に民主的で、学問に上下はない、として、教員、職員みな「さん付け」で呼び合い、研究室に「e研憲章」(素粒子研究室憲章)をつくりました。これはいい、ということで、物理学のほかの研究室も習い、また理学部全体も習い、名古屋大学全体にも「名古屋大学憲章」ができました。
    当時の名古屋大学は、学問の場として誉れ高い歴史を持っています。

    沢田さんが今もいつもつくづく言います、「だれもさん付けで、というのに賛成するが、坂田先生だけはどうしても、先生と呼ばすにはいられない」と。
    JSAは2年ごとに、学術総合集会を開きます。2012年(来年)は、9月に岡山支部が主な世話役で開催です。
    皆さん、どうか参加ください。嬉しい話をたくさんくきことができます。

  2. ひのつ倫子 より:

     権力に左右されない科学の力が人の危機を救いますね。真実の希求にこそ進歩の力が育つと思います。研究所のあり方については初めて知りました。民主的という言葉の素晴らしさを感じました。