「大人が二枚」
「え?」
ロープウェイの切符売り場の女性がガラス窓越しに、怪訝な顔でこっちを見た。
(どうして怪訝な顔なの?と思いながら読み進めると、一人なのに二枚切符をくれと言ったからだとわかった。)
わたしはあわてて言い直した。
「もとへ!一人だ!」
(実はこの主人公の妻はなくなっていて、この日もあたかもそばにいる感覚で二枚と言ってしまったのです。)
読み始めから私は切符売り場の女性でした。妻の亡霊と言葉を交わしながら歩くので、どうなるのかと話の行き場が見えそうにありませんでした。途中で会った読書家の少女とのやり取りの部分で山場に入ります。志賀直哉の「城の崎にて」から「風もないのに一枚だけ葉がヒラヒラと揺れ、風が吹き始めるとその葉だけがピタッと動かない」という表現が取り上げられていましたが、私自身が「本当だどうしてだろう?」といぶかるその少女でした。
そんな風に引き込まれていった本は、つい先日送られてきた尾道文化賞受賞作品です。上記の記述はその書き出し部分。( )の説明は私が書いたものです。作者は数年前に笠岡市の木山文学賞受賞者の木下訓成さん。当年七四歳。退職してから始めたにしては異例だと思うのですが、あちこちの賞をおとりになっていて、ご本人曰く「定年退職後始めた執筆活動、これで二九回目の受賞。キリ良くあと一つ頂ければ本望、、、」なんと軽く受け流すこのすごさ。いつも頭が下がる思いで、しかもあっけにとられます。
尾道の風景を舞台に現世と幻と、過去の出来事と、同じ問答を今展開していて、、、しかもはっきりとした答なく、、、彼の短編小説は不思議に、すっきりしていないのに好奇心を強く残して終わりました。
私も多くの読者のように、作者に直接問わなくては、という思いにさせられます。最後に少女は引き返して、何か問いたげに「あのー」と言って「なんでもないです。」と走り去るのですが、何を言いたかったのでしょうか?きっと私なら主人公のことを知りたいと思ったに違いないのです。
この本、尾道市文化協会発行です。(104ページ)