まちづくり講演会

ひのつ倫子 : 2013年2月16日

今日Do!この指とまれ とタイトルが付け加えられた講演会が16日グランドホテルで行われました。講師は福山大学の前山教授でした。テーマは、「日本と世界における協同のまちづくりの最先端」でしたので、始まったばかりの笠岡には重いかな?と思いつつ聞きました。お話の導入部分には感心させられました。なぜ協働のまちづくりなのか、というお話に、今の日本の社会に薄れつつある絆を危機と捉え、笠岡らしい絆を構築する上でも必要だと説かれました。データも、OECD調査で、「困っている人の手助け」にかかわって、日本は、最も低く、「困っていても何もしない国民」ととらえられていること、深い付き合い・頼る人は?と聞かれて1位職場の同僚2位親戚3位地域4位家族だったのが、2008年では家族がダントツトップに躍り出たと報告され、「他に頼るところないというある意味刹那的な現象」と分析された。加えて少子高齢化の社会現象のもと、縮小される社会だからこそ、コミュニティ自治を作り上げようというわけだ。「若い世代も大切だが60代70代の団塊世代をどう社会の力に生かすのか」が大切だという。先進例のアメリカシアトル「ヒルサイドガーデン」プロジェクトは、行政が1万㌦出し、地元市民が対価の労働力を出してゴミ捨て場を菜園に変えていくという話、高知市でのコミュニティ計画では地区毎に振興計画をつくり、地域設計を市民の手で立てるという構図だ。構想も、概念も進むべき方向としては本当に素晴らしいと思いました。しかし現実はそうはいきません。地元やいくつかの今の協議会のあり方を振り返ってみると、たとえば神島の保育所問題の様に、住民の声が十分汲み上げられていない点や、「『お上』行政を克服するために市民の手で」といううたい文句にも関わらず、保守的な地域性のもとで、やはり地域の『お上』行政になっているという点もあったりと、笠岡市は真の自治のあり方が問われているように思えます。声なき声に心を寄せ、少数意見を生かし、地区全体の納得に結び付けていく民主的手法と人間性が求められているのではないでしょうか。最後に司会の協働のまちづくり課井上課長は、「前山先生に講演の依頼をしに行った時、『協働』とはどういう意味かと聞きました。すると先生は『バラバラになっているものをまとめて動くようにすることだ』とこたえられ、それが今日の話の中の『きずな』だと思いました。」と導入部分がすべてを物語っていることにふれ、とてもスマートに会を締めくくりました。私は発言できなかったこうしたいくつかの質問を直接先生に伺ってみようと思いました。

少し見にくかったスクリーン

少し見にくかったスクリーン、座る場所によりますね

 

1 通のコメント ↓

  1. 白井浩子 より:

    いい講演会をお聴きだったのですね。

    私たち(研究者など学界分野)でも、いろいろなシンポジウムなど開いて、情報を共有し、よりよい社会に向けて一緒に闘っているつもり
    でいます。

    日本科学者会議(JSA)に全国規模の研究委員会がありまして、その中の「複雑系科学研究会」の所属しています。
    物事の発展の必然性と解明する。とでもいうべき分野であって、何でもテーマになれますが、社会変革も意図していると、私は捉えています。

    シンポジウムとワークショップをもちます。
    <シンポジウム>:
    『宇宙、物質、生命、人間と社会の動的構造と発展』を討論主題とし、年1回開催する。
    あらゆる学問分野から研究者が集い、相互の接点を見出す機会をつくる。
    <ワークショップ>:
    研究委員会で主題を設定し、年1回開催する。なお、2012年は『平和学における複雑系科学の可能性』。
    来る2013年4月は、『新しい変革主体の形成』を主題にする。

    興味深いでしょう?時間があれば参加しませんか。

    そこでの報告者が、中西新太郎さん(1948生)です。
    主に、子ども・若者の成育に焦点をあわせ、その子どもたちの成育環境としての社会経済状況を重視しています。

    下記に示した参考文献、どうぞどれか読んでみてください。
    大きな時間スケールで社会変化を捉えていて、とくに、戦後から現在までの社会(経済)状況と、青年の育ちとを関連付けてみるもので、大変、納得させられます。

    手短に言うと:
    ・・・以前は、子どもは<学校と家庭>を行ったり戻ったりたりする「振動環境」において育った。その後、経済(売らんかな、です)の発達のもと、<学校、家庭とならび、消費環境>の、「トライアングル環境」において育つようになった。子どもは、この3点目のこの消費の場に多大なる影響を受けるが、この消費環境は多様でいたるところに入り込み、親や教師に見えず、捉えきれないでいる。・・・
    と考察されています。

    明治期に言われた(クラーク博士など)「青年とは希望にあふれた存在だ」とか、現在では「今の若者はだめだ」などの、先入観をぬぐいさり、子どものありのままの状態をまず環境と同時にその関係において捉えることが重要だ、という態度です。

    事実に即した子どもの捉え方であって、大いに、参考になります。
    下記のような、著作があります。

    『情報消費型社会と知の構造 学校・知識・消費社会』 旬報社 1998
    『思春期の危機を生きる子どもたち』 はるか書房 2001
    『若者たちに何が起こっているのか』 花伝社 2004 
    『〈生きにくさ〉の根はどこにあるのか 格差社会と若者のいま』 前夜 2007 
    『〈生きづらさ〉の時代の保育哲学』 ひとなる書房 2009
    『シャカイ系の想像力』 岩波書店 2011 若者の気分

    私は中西さんを知らなかったので、今、読んでいます。大いなる影響を消費の場から受けた世代がすでに親ともなっているわけで、なかなか、変革と言っても困難であることが伺われます。

    でも、そういう事態であることを自覚して事に当ることが大事で、感覚的に(悪く言えば、確信なく)行き当たりばったりの案を試みるのは、科学的でなく有効性も無いと、考えさせられますよ。

    私たちが賛同を得ようとして、どうすればいいか、ということも、考えさせられます。

    先日も、イラク訴訟の川口創弁護士が、或る討論会を企画しましたが、改憲論者を呼んだのです。協働者には、反対の声もあったとのことですが、川口さん曰く、「憲法擁護の賛同者だけが4畳半的話し合いをしていても、発展しない。考え方は反対でも、かみ合うように焦点を合わせて討論することが大事」とあり、共感しました。

    どれかお読みになったら、感想を話し合いたいです。

    もうじき暖かくなりますね。
    西大寺の裸祭りも終わったし、大本ブログには、今日は「雨水」だとありました。
    元気で。