農免道路は今では車の量も多く、とても農業用の道路とは言えないほどで、路面の荒れも著しく、いつも補修をお願いしている気がします。この路面もそうで、部分的にいくつも荒れが目立っておりました。交通量の多い中での作業は大変だと思いますが、すっかりきれいになって振動もなく、快適なすべりを提供してくれます。
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穴のあいたコンクリート面の粗さも目立つ市道でしたが(昨年10月)、舗装をお願いしてすっかり通りよくなりました。
4月30日、地域の生き生きサロンメンバーの親睦旅行がありました。兵庫県方面と、花と緑の博覧会によりました。笠岡市の鉢物も並んでいて、エコがテーマのこの会場は、5月を目前にふさわしい色とりどりの花で埋め尽くされていました。
4月29日、子供フェスティバルが行なわれました。シャボン玉製造機から無数の虹色ボールが青空に飛んでいきます。何とメルヘンな光景かと思いました。 列車に乗るのは怖い、でも乗りたいという孫をひざに乗せ、2周しました。大人も楽しめる乗り物です。
27日、金浦橋の西の歩道は地盤が軟弱なために沈みかけ、おまけに狭いために危険でもありました。そのことも踏まえて国土交通省に改善を求めていました。今年の予算で対応していただけることになりました。長引きそうですが、安全第一です。
ハウステンボスであった結婚式と披露宴は夕方から始まったために、二次会も遅くまであり、全日空の宿泊を取ってくれていました。翌日帰る道、小倉で途中下車し、病気がちの卒業生を見舞いました。彼女は難病にも関わらず、力を振り絞って生きているような人で、大いにこちらが勇気をもらったものです。26日のその日は私の誕生日、家に帰ると周明の娘からは花を、孫からはケーキを送られました。若い人たちと付き合うと言うのはなかなかむづかしいものですが、お互い我慢しながらこれからも過ごしたいものです。
4月25日、卒業生のウエディングに出席するため、佐世保に行きました。昨年の10月招待の話があったので、周明と二人で参加するよと約束していたものです。彼の訃報を聞いて、翌日佐世保から飛んできて、そんなに遠くから?と周囲を驚かせたのも彼でした。二人で祝福する予定が一人減りましたが、本当に新たなものの誕生を思わせる思い出となりました。ここにも周明の分身がいるのだとうれしくなりました。
4月24日朝、駅前での街頭演説を終え、帰ろうとすると、小学生の一団に出会いました。大門から来た小学6年生でした。これから太陽の広場に遠足に行くのだそうです。近隣に名の知れた広場になったなと改めて思わされ、電車を利用してのお客さんを、気持ちよく見送りました。
従来の図書館は、人口6万規模にしてはとても小さく、市民の皆さんからもっと蔵書を増やして、広くしてほしいなどの要望の声が聞かれていました。このほど、隣接していた青少年施設バグースが撤去され、4月22日子供図書館が開設されました。内部は広く、ゆったりとしていて、子供たちにも人気の本がたくさんあります。この日は島に通う図書司書の方が、島の子供たちにと本を選んでいました。