8月, 2011

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原水爆禁止世界大会8月7日開会式

ひのつ倫子 : 2011年8月21日

8月7日から9日まで、長崎市で原水爆禁止世界大会が開かれ、初めて全行程参加しました。7日は開会の全体会です。国際色豊かにリレースピーチがあり、連帯と共同行動の発言に力がわきました。特にセルジオ・ドアルテ軍縮担当上級代表が代読した国連事務総長のメッセージは、国際平和や安全保障が核軍縮の前にあるのではなく、核軍縮そのものが国際平和と安全保障に大きく貢献するのだと言い切りました。まさに私たちの運動がそれであり、この運動がどんなに世界の危険な流れをせき止める大きな力になっているかを実感させるものでした。メッセージはその目標に向かって私たちとともに歩み続けることを誓っていました。これは偉大なことだと感じました。

全国から7500人が参加しました

全国から7500人が参加しました

また各地からの発言も感動を呼びました。特に東北からは、困難な時期を乗り越えて多くの参加者が来ていることに驚きもし、報告に目頭が熱くなるものを感じました。人災である福島原発の事故からも決して放射線被害に苦しむ人をこれ以上出してはいけないと決意させられる力を感じました。こうしたことをよく踏まえられて、長崎の伊藤市長は安全神話が当たり前のようになっていたこれまでを深く反省して現実を見直し、核廃絶を求めていく姿勢を明確に示されました。この点において管首相の広島平和記念式典での挨拶と大きく核廃絶への姿勢の差が出ていると感じました。

>> 2011年8月7日 長崎平和大会 PDF140KB

長崎市長は9日の平和式典でもこのことは触れたいと述べました

長崎市長は9日の平和式典でもこのことは触れたいと述べました

原発撤退へ 立地拒否した町で / 三重県0基 たたかい半世紀

おてつだい : 2011年8月19日

2011年8月19日(金)「しんぶん赤旗」>> 原発撤退へ 立地拒否した町で / 三重県0基 たたかい半世紀 / 住民投票圧勝 漁協決議 全県にビラ

日本共産党三重県委員会が津市で開いた党創立89周年記念講演会(7月16日)の中で、三重県内での半世紀にわたる原発反対のたたかいを振り返った山下鮎子・元海山(みやま)町議(69)の報告に参加者から大きな共感の拍手が寄せられました。 (三重県・白瀬総彦) >> 記事

8月6日広島に

ひのつ倫子 : 2011年8月18日

広島の平和記念式典に参加して記念碑を巡ったり、資料館を訪ねたり、また語り部のお話を聞いたりと、多彩な企画で8月6日を平和をかみしめ、築いていく節目として取り組んでこられた市職員労働組合のバスツアーでしたが、朝5時発の予定のバスが、渋滞で6時発となりました。今年は前日の5日に、久々に復活したピースランナーが、笠岡市役所前を出発、広島に向けて走っています。広島に到着した時刻が遅かったために、席にはつけませんでしたが、テレビ中継を見ながら、公園の木の下で式の流れを見守り、8時15分に黙とうをささげました。祈りをささげる人の波は絶えず、香のにおいとマイクからの訴えや、音楽をのせて太田川の上を吹く風が束の間の涼を運びます。きっとあの日と同じ暑さなんだと、滴る汗に感じました。二度と繰り返さないと誓いを立ててこれまで平和運動にかかわってこられた人たちに思いをはせながら、微力な私も後に続いて歩きますと、手を合わせました。
>> 2011 年 8 月 6 日の広島 PDF200KB

人垣の向こうに見える会場

人垣の向こうに見える会場

恵風荘の納涼祭

ひのつ倫子 : 2011年8月18日

8月4日夜、城見地区にある恵風荘で納涼祭が行われました。50周年をお祝いした福祉施設では、いつもボランティアの人たちに付き添われて入所者の皆さんが、地域の住民、子供たちと一緒に楽しんでいます。仕事で少し遅れましたが、私も一緒に盆踊りを楽しませていただきました。顔見知りの入所者の方も車いすで、お元気そうでしたので、安心しました。

熱い夏も吹き飛ばす勢いでした

熱い夏も吹き飛ばす勢いでした

公平公正な採択を

ひのつ倫子 : 2011年8月3日

来年度中学校で使う教科書がもうすぐ採択されます。7月6日まで公開されていた教科書見本を市民の皆さんと読み合わせてみました。

「子どもが来年は中学生です。安心できる教科書を」と不安を訴え要望

「子どもが来年は中学生です。安心できる教科書を」と不安を訴え要望

特に社会関係では、公民と歴史において、自由社、育鵬社の記述には大きな歴史観の後退が見られ、問題点が浮き彫りにされました。15年戦争も、正義のたたかいとしてとらえられ、歴史は先祖の生き方を学ぶとしていることも見逃せません。原発の推進の立場をとっていることも疑問です。母親連絡会の会長が教育委員会を訪ね、①選考にあたる先生方の現場の声を大切にしてください。②自由社、育鵬社の教科書見本内容には戦争を美化するなど問題が多いので、採択しないでください。③公平公正な立場を貫いてください。 と要望しました。  これに対し、教育委員の一人である笠岡市教育長は、「公平公正な立場で現場の声を大切にして採択する」と答えられました。時代を担う子供たちがゆがんだ歴史観でなく、過去の教訓と反省からしっかりとした平和な未来を築けるよう、今後も見守っていきたいと思いました。

食事会

ひのつ倫子 : 2011年8月3日

英会話教室のアシスタントは、南アフリカから来ています。今日は、彼女のご両親が日本を訪ねてこられ、ご一緒にお多津で食事をしました。海岸にホテルを経営しておられると聞きました。Brian & Kate Bannatyne で検索すると見つかります。BAHARI という名のホテルです。いける機会などさらさらにありませんが、いつでも来てくださいと招待されました。

気に入られた庭で

気に入られた庭で

初かぼちゃ

ひのつ倫子 : 2011年8月3日

かぼちゃの苗も植えました。坊ちゃんかぼちゃ、大きなかぼちゃいろいろです。庭いっぱいにツルが広がり、黄色な花が目立っています。いくつできるのでしょうか。

下が汚れないよう、お茶の木に乗せました

下が汚れないよう、お茶の木に乗せました

初すいか

ひのつ倫子 : 2011年8月3日

初めてスイカの苗を庭に植えてみました。草ぼうぼうよりも野菜のツルが伸びていたほうが良いという気持ちで植えました。見事に一つ大きいのがなって、とても甘く、自然の恵みにうれしくなりました。

カラスの攻撃も逃れてお大きくなりました

カラスの攻撃も逃れてお大きくなりました

朝顔

ひのつ倫子 : 2011年8月3日

庭にいくつも咲き始めた朝顔が、一人暮らしのあいさつ代わりになっているようで、見た目も心もにぎわいます。

どこかにどれかが顔をだしています

どこかにどれかが顔をだしています

日本母親大会分科会

ひのつ倫子 : 2011年8月2日

見学・特別分科会を含め、47の分科会に分かれ、熱い思いが語られました。私は「核兵器廃絶のために」という分科会に出ました。

パネラー①被爆体験を話された池田精子さん、「中学一年生でした。爆心地2キロで被爆しました。家族を探して歩きました。焼けただれた女性が見るからに死んでしまってる乳飲み子に、最後のお乳を振り絞って生き返らせようとしている光景は言葉であらわすことができません。その人も間もなく息絶えました。」涙なしに聞くことはできませんでした。

パネラー②広島平和センターのリーパーさん、「数人の人が喜ぶ、多くの人が苦しむ戦争文化に支配された世の中を変えよう、被爆国日本が立ち上がれば大きく前進するが、アメリカの力から逃れられないでいる今、草の根の運動で、政府を、世界を動かそう。」と呼びかけました。

パネラー③中国新聞社の田城明さん、世界中の被爆実態を調査し、世界中に放射線被害者がいることを明らかにしました。 ― アメリカテネシー州オークリッジ核施設、ロシアのマヤーク核施設、いずれも周辺住民は何も知らされず、放射性廃液に汚染された生活環境の中で被爆、施設労働者の健康被害訴訟etc・・・チェルノブイリ事故地点から1キロ圏内の木々は枯れ、30キロ地点のカルパビッチ村は67軒185人が住んでいましたが、放射性被害により村全体を土の下に埋めてしまいました。ゴメリ州の貧しいシジェレニキ村で、子供たちが一月ごとに気管支浄化などのリハビリをしています。

パネラー④山下正寿さん、第5福竜丸とともに操業していたマグロ漁船の乗組員もより重い被爆者だったことを調査により明らかにした過程をお話ししてくださいました。「第5福竜丸は捕獲したマグロをのせて被爆した。異常に思って1直線に日本に帰った。実験は有名な3月1日だけでなく、あと27日まで5回繰り返された。600以上の漁船がほとんどが高知県だが、その期間中マグロ捕獲を続け、被爆した。口にしたマグロの内臓、冷凍用の氷、海水はもちろん魚自体も、高濃度に汚染されており、エンジンを冷やす海水はあたたかい風呂となり、汚染された雨で体を洗う、洗濯をする、鍛えられた体も被爆し、健康被害は顕著となるが、福竜丸以外の漁民を政府は調査の対象から外した。被爆は3月。放射量計測器に反応する魚が大量に廃棄処分されました。ビキニだけではなく、マグロが核を運んで日本近海に到着します。12月まで本当に大量の廃棄処分があったといいます。」

パネラーの発言はどれも真実で重い。知らされない事実のなんと多いことでしょうか。政府の隠ぺい工作はすでにここから始まっていたと思いました。

コーディネーターの原水協高草木さんは、「この一年間の世界の流れは着実に核兵器廃絶に向けて進んでいる」と説明し、放射線被害者をなくす、核兵器の禁止に向けての動きをさらに進めようと訴えられました。

「日本は『自然なリーダー』なって当たり前の核廃絶運動指導者なのに。」

「日本は『自然なリーダー』なって当たり前の核廃絶運動指導者なのに。」