86歳になる戦争未亡人の叔母は、7年前に娘さんを亡くし、今は1人暮らしで頑張っています。時々たずねるのですが、耳が遠くて会話も忍耐を要します。先日、楽しい教え子の思い出話を聞きました。「教員10年目の頃かな。全校生徒400人弱で、担任した一年生のクラスは50人を超えていました。のぶちゃんはいたずら好きで私は頭が痛かった。ガマ蛙を捕まえては女の子を嫌がらせ、蛇を捕まえて木の先にくくりつけてぐるぐる回して通せんぼ、雨の日の水たまりをビチャッ、ビチャッと渡らないと新しい靴を履いた友達を帰らせない…….数え切れない悪さして彼を知らない人はいない。保護者の皆さんから苦情を聞くのが私の役目。」
ある日のこと、教室のバケツがないではありませんか。叔母はすぐ「のぶちゃんがまた川に行ってるな」と思ったそうです。養護の先生に迎えに行ってもらいました。学校近くの川でとったどんこをいっぱいバケツに入れて帰ってきました。校長室に呼ばれていましたので、叔母は心配していたそうですが、やがて「先生、校長室に来てください。のぶちゃんがどんこのとりかたを教えてくれますから。」と声がかかったそうです。校長室にはいると、得意気なのぶちゃんから板張りの床を泥んこにしながらドンコとりの「極意?」を教わったそうです。
その話を聞いておばの優しさと、校長先生の心の温かさを感じ取ることができました。昭和31年ごろの話ですからずいぶん前のことですが、今の子供達がこうした先生にたくさん接することができればいいのにと思わずにいられませんでした。
叔母は「一日一ついいことをして教えてね。」を彼の目標に根気良く彼を励ましました。そのうち、ゴミを拾っているのぶちゃんを校長先生が、全校集会でほめたそうです。こうして彼の善行をみんなが注目するようになりました。「先生、一日一つなのに今日は3つもいいことしたよ。」と彼をほめる子もいて、さすがののぶちゃんもこれは大変だということになっていったのではないでしょうか。又ほめられてとてもうれしかったのだと思います。
卒業して社会に出ると、校長はじめ、お世話になりましたと最初の給料でお菓子を買って学校を訪れたのも彼が初めてだといいます。
「いい思い出を持っていて叔母ちゃん幸せだね。」と私が言うと「2年生に上がる時、手放したくなかった。そのぐらい良い子なのよ。」と目を細めて言いました。
どんこ取りの名人。良い話ですね。
こんなよき時代があったんですね。今このようなことが有ればいじめや自殺はほとんど無いのでは・・・。と思います。
森本様
コメント有難うございます。私もそう思いました。先生のほうにも仕事に追われている中で難しい話だと思いますが、影響を受ける子供はもっと悲劇です。
とてもいい話ですね。似たような体験談をある人から聞きました。その方は本にしましたが、味のある本になりました。
どんこ取りの名人に、機会があったらぜひお会いしたいです。
そうなんだ。その人も昔のことでしょうか?時代の流れは一体子供達をどう育てようとしているのでしょうか。
叔母の教え子は、今バスの運転手をしています。昔、叔母が乗り遅れないように走っていると、バスの運転席から顔を出して「先生!走らんでもええよ、待っとるから」と、声をかけられたそうです。「あーこの子は、優しい子になったなー」とうれしく思ったそうです。