笠岡市議会9月定例会での、ひのつ議員の一般質問通告書を掲載します。
>> 2011年 笠岡市議会9月定例会 一般質問通告書 PDF126KB
9月11日、日曜議会があり、代表質問が6会派によって行われます。私は、日本共産党を代表して4番目に、時間的には午後一番ぐらいに質問を行います。
笠岡市議会9月定例会での、ひのつ議員の一般質問通告書を掲載します。
>> 2011年 笠岡市議会9月定例会 一般質問通告書 PDF126KB
9月11日、日曜議会があり、代表質問が6会派によって行われます。私は、日本共産党を代表して4番目に、時間的には午後一番ぐらいに質問を行います。
9月1日新学期が始まりました。更生保護女性の会が毎月行う朝の挨拶運動がこの日あったので、金浦小学校に出かけました。休み中制作したものも含め、子供たちは持ちきれないほどの荷物を抱えて登校していました。みんな元気です。
その帰り、隣接する金浦幼稚園に立ち寄りました。園舎改善の要望がどのように工事されたか確かめるためです。反りあがった廊下の改善は、ほんのひと手間かけただけでしたが、事故さえ起らなければこれでも良しとせねばなりません。削り取った上から、引っかからないように塗布していました。
教室の北側は、冬にはすき間風の吹きこむ木枠のガラス戸でしたが、外気を遮断するサッシの窓枠にしてもらえていました。古い園舎です。建て替えが一番望ましいことですが、それが実現するまでは、改善に頼るしかありません。注意深く見守っていきたいと思います。
笠岡湾干拓に行くと、笠岡市に隣接するJFE福山工場がいつも煙突から夜は炎を、日中は白煙を上げているのが見えます。笠岡湾干拓をつくる際に、笠岡市は、日本鋼管、国と3者間での協議を経て覚書を交わし、工場建設に伴う市民の雇用獲得に期待を寄せJFEに干拓地を工場建設用地として無償提供しました。工業用地の20%は緑地でなければならないとされていますが、JFEは代わりにゴルフ場をつくり、早々と運営に踏み切りました。しかしいまだに工場建設は棚上げされたままです。これについて平成3年3月議会で、わが党の酒井宏侑議員が議会質問をしていますので、参考資料として役立ちます。
さて8月18日、笠岡市議会建設産業常任委員会、環境福祉常任委員会は合同でJFEの浚渫状況を視察しました。平成20年から国は、その工場に船で資材を運び入れる航路の浚渫を始めました。始めるに当たり、笠岡湾干拓地内のJFE工場建設予定地に浚渫土の仮置き場を認めるよう市に打診してきました。「仮置き場なら。。。」と、誰も異議を言いませんでした。今回の視察は、国の計画が終わり、8月15日から10月末まで、港湾護岸付近のJFE分の浚渫を会社が行うに当たり、国と同じ仮置き場に送水管を用いて浚渫土を運ぶとのことで、計画されました。リースの送水管は内側の直径670ミリ、長さ約2、5キロメートルで、7K/㎠の圧力でため池まで送られます。ため池は国が設けたものをそのまま利用し、全部で4つあり、計72万㎡の広さです。池の水位が高くなれば、それぞれの池に海水が移動できるトンネルがあって、移動した海水が効率よく蒸発するよう、考えられていました。浚渫請負業者は東和建設(株)で、さらに特殊な浚渫船で請け負ったのは、高知県の大旺新洋(株)でした。敷地内には鉱滓スラグがピラミッド状にいくつも置かれてありました。鉱石から取り出される鉄の残りカスは約60%だといいます。中にはスラグがサンゴと同じ様に水を浄化する働きもあって、スラグのテトラポットができないかと試行中とのことです。こんな廃物利用なら大歓迎です。早く研究が実るよう案内の方に伝えました。悪臭も予想していたほどでなく、特に大きな問題はなかったと思います。しかし、視察後の質疑応答の際、「仮置き場」としての認識が会社側になく、一同驚いたものです。このままで放置されるということは永遠に工場を建設するつもりはないということにつながります。事実確認が必要になると感じました。
台風の風で、倒れた草木の片づけをして気づいたのですが、プルーンが落ちていたのです。下草がぼうぼうで見えませんでした。大丈夫そうなものをいくつか拾い、木に実っているものも、引っ張るとすぐとれるものを探して収穫しました。洗ってかじると、懐かしいりゅうてん(スモモ)の味がしました。昔りゅうてんの木に実がいっぱいなる頃はかなぶん(コガネムシ)が山ほど群がっていたのを思い出します。これで鳥がつつく時ではなく、
風で実が落ちる時がプルーンの食べごろだと教えられました。
9月3日雨も風も強まる中、午前中は「金浦盆踊り保存会総会」に出席し、一年の活動を振り返りながら次の年を飛躍あるものにしようと確認しあいました。午後は、1時からの「笠岡ハートフル福祉大会」出席しました。環境福祉常任委員会の委員長が福祉貢献部門で表彰されるため、会場に行くと、副委員長の私の席は壇上にあると知らされ、驚きました。台風の見回りを考えていたので、着替えを持っての参加でしたので、式典だけの参加となりました。知人の表彰がうれしく、写真を撮る予定が、壇上にいるため、取れなかったのは残念です。それにしても外の風は強く、地元が気になりました。見回りが少し遅くなりましたが、大きな被害なく過ごせたことは本当に良かったです。
2011年9月4日(日)「しんぶん赤旗」 >> 日本政府 原子力推進の“障害”と民主的学者 排除リスト 54年「極秘」報告書
日本で初の原子力予算が計上された1954年当時、日本政府の関係者が原子力政策の推進にあたり、自主的・民主的な研究を目指す原子核物理学者を“障害物”とみなし、「極左」「左」などと思想選別し、排除を考えていたことを示す「極秘」報告書が明らかになりました。 >> 記事