あしあと

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ハングル教室

ひのつ倫子 : 2013年2月28日

 

母音の数がめちゃ多くてみんな苦労しています

母音の数がめちゃ多くてみんな苦労しています

昨年は東学農民軍の歴史に触れたこと、韓国中学生2人のホストファミリーになったこと、何かと韓国との交流が深まった年になりました。受け入れ家庭の一つに、奥さんは日本人、夫さんが韓国の方というご家庭がありました。市内に住んでおられるということで、当時ホストファミリーへ、最低限度必要なハングルを教えていただけるようお願いしたことがあります。そのキムさんを講師に今年2月から国際交流協会主催でハングル講座が始まりました。26日、先生の帰省土産に韓国のりを頂きました。15人の生徒の中で、私は欠席の多い生徒ですが、楽しく勉強しています。来年はハングルで会話のできるホストファミリーになれるかな?

教室のみんなに配ってもこんなに残ってしまいました。

教室のみんなに配ってもこんなに残ってしまいました。

遅い新年会

ひのつ倫子 : 2013年2月28日

 町内会と厳島神社の総代役員の皆さんに招かれ、遅い新年会が遥照でありました。私は1時間ほどの参加でしたが、和気あいあいと楽しい食事を頂きました。会場は山の山頂で、よく晴れていて眺めも良く、瀬戸内の島なみが薄く色づいた墨絵の様に重なっていました。海面が陽を反射してまるでそこだけ生きているようでした。久しぶりに高台から見た海でした。120224youshou (2)_R海の景色がうまく取れませんでした。残念です。この写真は会場の入り口です。

自主防災ワークショップ

ひのつ倫子 : 2013年2月27日
飽きないお話にみんな食い入ります。

飽きないお話にみんな食い入ります。

 21日夕方、生江浜地区で、地区自主防災ワークショップ第1回が行われました。県の防災協議会参加しておられる岡山から来られた徳田さんのクイズを交えたお話を聴きました。3月3日には地域を避難経路に従って実際歩いて危険個所や、気配りの必要な地域の高齢者の居場所チェックなどフィールドワークをします。3回目はそれを地図に落として、市が作成のハザードマップとは別に地域の災害マップを独自に作るというものです。笠岡市ではこの取り組みに大島地区と生江浜の2地区が手を挙げ、取り組みます。ちなみにこの日の集会で、市内防災関係50回目の節目を迎えたそうです。関係者の皆さん、ご苦労様でした。

駅前は笠岡市の玄関

ひのつ倫子 : 2013年2月27日

 毎週金曜日の朝は笠岡駅前で、党の井木まもるさんとご一緒に朝のご挨拶をしています。よく通りかかる人や、朝早くから働くタクシーの運転手さんと話す機会があるのですが、昨年の12月議会前に、放置自転車の問題、ごみの問題、木製のベンチの老朽化など教えていただいて、12月議会では計画的な整備をと質問しました。2月のある金曜日、いつものように駅前に立ってベンチの修繕ができているのを発見し、うれしくなりました。座ろうかという気持ちを起こさせます。

時計台の横にあるベンチ

時計台の横にあるベンチ

 

 

 

 

小松食堂前のベンチも

小松食堂前のベンチも

これが新種のブロッコリー

ひのつ倫子 : 2013年2月25日

 面白い形をしたものです。これが新種のブロッコリー。味は固めにゆでていただいた方が歯ごたえあっておいしいと思います。いつかどこかで見た兵隊さんの帽子のような、大仏の頭のような、まことに奇妙な新種です。海の生物とでも言いたくなります。

巻貝の殻にも似て

巻貝の殻にも似て

対市要望で、市と懇談

ひのつ倫子 : 2013年2月23日

 

執行部11名で対応していただきました。

執行部11名で対応していただきました。

来年度予算に向けての約30項目の対市要望を日本共産党笠岡市委員会として提出していましたが、21日、回答をもとに話し合いを持ちました。福祉関係で気になっていた保護基準の引き下げに伴う市民への影響については、どの程度のものになるかはまだつかめませんでした。しかし市県民税、就学援助などへの影響は確実で、今後も注視しなければならず、何よりも憲法25条に逆行する基準引き下げ撤回の声を上げなければなりません。生活保護申請用紙はいつでもだれでも持ち帰れるようにと従来の要望が実施されるなど改善されました。教育関係では市内全幼稚園で3歳児保育が始まっていますが、異常気象の暑い夏7月も9月も扇風機しかない保育室では、幼児にとって耐えがたい保育環境と言えるのではないかと思うのですが、「その予定はない」と回答はぜんしんせず、とても冷たいものでした。校舎の耐震工事は28年度終了を目指していますが、27年度に早まるかもしれないとの回答でした。しかし本庁舎を初め、市が管理する公的施設についてはずいぶん遅れています。またイノシシ捕

狭い受付カウンターに置かれた保護申請用紙

狭い受付カウンターに置かれた保護申請用紙

獲の市販の檻は高くつきますが、こちらが紹介したものは手作りで安価にできるものでしかも有効だということで、対策に活用するよう要望しました。約一時間半の懇談でした。改善の見られない項目については引き続き他の機会に発                                                     

                                        言・提案していこうと思います。

妊婦健診の行方

ひのつ倫子 : 2013年2月23日

  2010年度から14回の妊婦健診が無料となっていました。国が基金を設け、公費助成を決めたからです。しかし、この基金が今年度末で終了することで、自治体によって新たに自己負担の生まれるところが出てくるのではないかと危惧されます。先月25日に日本共産党の高橋ちづ子衆院議員と田村智子参院議員は「国の補助が切れ、自治体に負担が生まれることがあってはならない。新たに有料になるようなことがないよう国として努力を」と要請しました。笠岡市の来年度からの施策が気になるところですが、「新たな負担は生まれない。従来通り無料で検診を受けられる」と当局からの回答を頂きました。

井笠バスカンパニー

ひのつ倫子 : 2013年2月22日

 20日、公共交通特別委員会が開かれました。暫定的に井笠バス運営を引きついでバスを運行する中国バス(株)は、事業者名を井笠バスカンパニーとしています。11月から3か月終えた時点での収支状況は4080万余の赤字、月平均して1360万円にのぼります。4月からの正式委託業務では、これまでの走行距離33万キロから美の浜線の新規経路や市民病院増便などの影響で、37,5万キロになると言います。これまでの赤字状況から、今後一㌔につき140円の赤字が発生するとみられ、年間5250万円の赤字が出る予想で、国庫補助500万円を差し引いて笠岡市からの補助は年間4800万円が新年度予算に計上されます。バスについては管財人から34台を3000万円以内で購入することとし、関係市町の走行距離で按分すると笠岡市は40%、約1200万円の負担になると言います。乗降実態調査については、2月20日28日両日にわたって国補助事業として行われることになっていますが、現況調査が中心で、バイタルリード社に業務委託します。来年度も850万円の補助が取れるなら、再度調査を行うとしていますが、その時は、市民の声が聴ける、生かす、将来的な運航に役立つものにしてほしいと、私を含め、複数の委員から要望が出されました。美の浜バスターミナル整備に関してはすでに設計委託業務が指名入札により、890万4千円で、地質調査業務が227万8500円で、すでに終わっています。広場のフェンス設置工事も281万4千円で業者が決まっています。仮設の駐車場整備はまだですが、いずれ3月には出来上がらないとスタートしません。本体工事は8月に始まり、2月末の完成予定です。2億5千万円をかけてのターミナル整備が始まりました。

グランド西半分5000㎡がターミナル予定地

グランド西半分5000㎡がターミナル予定地

西部衛生施設組合

ひのつ倫子 : 2013年2月22日
同じ大栄環境の三木市処分場(1月視察)

同じ大栄環境の三木市処分場(1月視察)

 19日、一部事務組合議会がそれぞれ開かれました。西部衛生施設組合議会では、基本計画策定延期、維持管理費削減、退職者不補充などによる4747万円の減額補正や、破砕機修繕費4860万円を含む前年度比6304万円増の25年度予算の上程が行われました。御崎山の処分場が今年度末で終了となる為、それに代わる不燃性残渣処理の委託先を三重県伊賀市の大栄環境の処分場としていました。推定量は800トンとし、笠岡市ー伊賀市間の運搬料、伊賀市への環境保全負担金など含め、約3000万円の計上でした。今後の御崎山については、完全な廃止までに水処理を続け、表面の覆土など課題が残されています。

池泉回遊式庭園

ひのつ倫子 : 2013年2月20日

 清水亭の庭の中央には外の堀に通じる池があり、その周囲を回遊できる苑路がついています。道に沿って灯篭も置かれており、かつては小さな池の中央の石上に据えられた小さな灯の火をともしに木船に乗って行ったそうです。裏山の斜面を利用しての庭には、池に続く川を見立てて竜門瀑や鯉魚石もあって、昔ながらの庭づくりの装いが見られます。しかもこれは1669年、福山城主水水野公が吉浜干拓を行う前の事ですから、家の前には瀬戸内の海が広がっていたはずで、庭に使われている石のほとんどすべてが波打ち際の自然の石をそのまま庭づくりに生かしているところに大きな価値があると斉藤先生は言われたそうです。1770年代になって京都の俳人でもある寺人「ちょうむ」という方が、その紀行文「浜千鳥」に清水亭の吾妻屋を「清音亭」と称し、俳句指導に当たっていたことが記されています。当時の当主の雅号が露風(路風?)、その子が五風ということまでわかっていました。三尊石、遠山石がおかれ、手前には礼拝石まで置かれて竜門瀑を見ながら修行する設定を思わせるということです。仏教思想につらぬかれて一段と聖なる雰囲気をかもしだしています。「矢掛屋」はかつて矢掛から出てきた海運業で財を成したと伝えられています。清水亭の家には船箪笥も置かれており、当時を偲ばせる家具が現存しています。清水亭の清兵衛という方は実業家であるかたわら、社会貢献も大きく、例えば神島八十八か所のうち二ヶ寺への寄付、啓業館設立の陳情と、銀20貫の寄付などです。今では駅前の区画整理でなくなりましたが、矢掛通りと呼ばれるくらいの繁盛ぶりだったようです。私はあまり歴史通ではありませんが、干拓前の私の生地がどういう歴史をたどってきたのかにはこの庭園のお話を通じて大いに興味がわきました。

 

苑路を歩む

苑路を歩む

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